書聖「中林梧竹」の書簡21通が発見されました

県立図書館では、現在、図書館先進県づくりの一環として古文書資料の整備を進めているところです。
 このたび、近代日本書家を代表する一人であり、書聖ともいわれる中林梧竹(なかばやし ごちく/1827年~1913年)の書簡21通が当館の所蔵資料の中から見つかりました。これらの書簡は、平成3年と平成4年に佐賀市内の旧家から当館に寄贈されたものです。
 発見された書簡は、そのほとんどが明治40年から大正2年までの間に、梧竹が佐賀市内の後援者(石丸勝一)に送った自筆の書簡で、梧竹晩年の日常生活を明らかにする上で貴重な資料となるものです。

書簡の概要について

  • 数量(形状):21通(封書20通、葉書1通)
  • 時期:明治40年(1907)9月24日~大正2年(1913)7月7日※梧竹81歳~87歳までの6年間で、梧竹没1ヶ月前まで。
  • 宛先:石丸(いしまる)勝一(かついち)宛 20通(葉書1通含む)、徳広(とくひろ)(げん)(きち)宛1通
  • 状態:書簡にはシミなどが一部残っていますが、封筒に入れられたまま100年近く保存していたため状態はよく、墨の香りが残っています。

書簡の内容について

 一通は、梧竹に仕えた徳広源吉宛のものですが、残りは明治期に第2・5・6代佐賀市長を務め、梧竹の有力な後援者の一人であった石丸勝一宛の書簡です。
 梧竹が亡くなる1ヵ月前(大正2年(1913)7月4日)に、勝一宛に送った書簡(裏面参照)には、百円借用の依頼をする内容のことが書かれています。
 この他、融資や滞留中の礼状、佐賀へ帰省の連絡、孫娘の養子縁組のことや腰痛の症状などを書き送ったものがあります。

(石丸勝一宛 書簡 大正2年(1913)7月4日)
(翻刻)
先日者参上御世話
ニ相成り其後者
礼も不申上候余程
痛所もかろく相成
然者一躰ニ者弱衰
致候困り入候付京都
川崎近雄ト申候
中風の名薬有之
由ニ而薬求頼可申候近々
薬参候事存候ニ付
近々より帰京之心配ニ
御座候然ル処源吉へ
金子事相尋候処
最早少ク相成り候由
申候ニ付乍御世話
金百円丈致御
世話至急御世話
可下御頼申上候
当所迠替セニ付
深々相依頼仕候
七月四日 午前出ス
勝一様 ゴチク
※画像の無断使用はできません。

 


利用について

平成22年2月26日(金曜日)から、館内で複製物の閲覧ができます。


中林梧竹(なかばやし ごちく)

 1827年4月19日生~1913年8月4日。明治の三筆の一人。小城藩士中林経緯(けいい)の長男として小城に生まれる。19歳のとき江戸に遊学し、山内香雪や市川米庵に書を学び、帰藩後は藩の子弟に経書を講じ、藩政に携った。56歳のとき北京に渡り、当時中国で有数の能書家であった潘存(はんそん)に学び、秦漢の篆書(てんしょ)隷書(れいしょ)、楷書を研究した。帰国後、銀座にある伊勢幸の青木方で、29年間研究に専念し梧竹芸術が完成。65歳のときには、十七帖の臨書を天覧に供し、明治天皇から御衣を賜った。梧竹堂書話に「百代の新風を樹立する」とあるが、現在でも梧竹の書は高く評価される。
(参考文献:「佐賀県大百科事典」 佐賀新聞社/編集・発行)

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